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「自分の将来は断捨離の判断でいいの?」

「自分の将来は断捨離の判断でいいの?」

高校3年生の生徒に、志望校についてきくと「九州大学です!」と。学部はどこときくと「共創学部です!!」と答えが返ってくる。今でこそ「はい。なるほど。」と頷くことができるが、ちょっと前までは、「ん-・・・はいはい!?」と反応せざるを得なかったことを思い出しました。その学科で何を学ぶのかときくと、「これからの社会に必要なことをその学科で学びます!」との返答でした。間違ってはいない。我々の時代は、大学と言えば理系文系のくくりで、文系なら法学部、文学部、経済学部など、理系なら工学部、理学部、医学部など大まかに決まっているものでした。学科は専門分野の名称でしたから、将来の進むべき進路も職業も、学科で大体イメージできました。しかし現在では、学部名でも将来の職業がイメージしにくいぐらい多様化が進んでいるように思います。2024年トレンドは「デジタル」と「グリーン」がテーマのようで、大学でも18種の新たな学部が誕生しているようです。(多様化社会に対応でき人材育成の取り組みのため、各大学が10年前から「情報」と「データサイエンス」というジャンルを学科に反映させたのが始まり)

AIを使った職業も多様化し、進展も早い分衰退も早いように思います。それゆえ多様化した社会に対応する人材が必要なため、学科はおろか学部もそれに合わせて、新しいジャンルが増えているようです。子どもたちの進路もその多様化に対応するべく情報も取りに行かなくてはならないため、新しいものを取り入れ、古いものを捨てるというサイクルも速いようです。まるで「断捨離」の判断と言いましょうか、「これ、いる?いらない?」の判断ではなく「使う?使わない?」の判断のように思います。「いる、いらない」はその人の心情が入ります。ですが「使う、使わない」は心情が入りません。「断捨離」は古きものを断ち切り、新しい未来に向かって羽ばたく儀式的なものですから、悪いことではありません。むしろ未来にはばたくためには必要なことで、とても良い行いのことだと思います。しかし、そのような「判断」をすることは、はたして良いことでしょうか。将来を考えるなら、「判断」だけではなく「決断」が必要ではないかと私は思います。「判断」はある基準によって決めますが、「決断」はそこに自分の意志を反映させた基準をもとに決めます。つまり自分の進路や自分の将来に関しては、「判断」ではなく「決断」することが重要ではないかと思います。